先日、映画
モナリザスマイルを観て、はて、アメリカの名門女子大ウエルズリー大学は今も昔と変わらずその名門ぶりを堅持しているのだろうか、ということが頭をよぎりました。
というのも、日本での女子大の人気のなさは目に余るものがあるからです。
娘が大学受験をするという段階になり、その凋落ぶりに初めて気づかされました。
「誰も敢えて女子大に行きたいと思ってない」ということがわかったのです。
さらに私たちのころ、女子の大人気だった文学部も全く人気がなくなった、という現実にも驚きました。
「文学部なんて就職の何に役に立つ?」ってことなのでしょう。男女とも、資格がとれ”そうな”、社会に出てからすぐ戦力になり”そうな”(”そうな”ってところがポイント。医学部、薬学部を覗いては保障された資格なんてないのだし)学部を希望してるのです。
私たちのころは大学4年生になってから始めた就職活動も、今や大学3年生には決まってしまうんですって???
ちょっと、いったい、どこの企業が先にそんなことやり始めたの?狭いニッポンそんなに急いでどこへ行く?
もともと大学の産学連携に私は反対。
仕事なんて社会に出れば生きてる限り続けるものだし、大学というのはあくまで勉学の場であるべきだと思っています。
学生時代くらい象牙の塔の中にいたっていいんじゃない?丸の内の高層ビルジングに足をつっこみながら学生生活しなくたって…
専門技術を身につけたければ専門学校に行けば良いのですが、今の大学生のWスクールも当たり前なんですってね。大学に行きながら、専門学校にも通う、という…
は~。2つの学校の学費を払わせられる親は大変です。
と思っていたら神戸女学院大学教授の内田樹のブログで「
大学ブランドランキング」としてこんな記事を見つけました。
『先日、その坂口(代ゼミの入試情報センター本部長)さんと話したときも「短期的な実効性を求めて専門学校化する大学は淘汰され、文学部をもちこたえることのできる大学が生き残るだろう」という結論を共有した。
「文学部を維持できる大学」というのは言い換えると、「この期に及んでなおリベラルアーツの重要性を信じている大学」ということである。
「卒業しても手に職がつけられない」のは、教育成果が外形的・数値的に表示できないということである。
換金性の高い知識や技能が身についていないということである。
「それでいいじゃないか」というのが坂口さんや私の考えである。
「それでいいじゃないか」と考えている企業の採用担当者もかなりいることがこのアンケート結果から知れた。
「共同体の一員として、隣人たちから信頼され、敬愛され、繰り返し助言や支援を求められるような人間」を育成すること、それが教育の目的である。
しかし、「信頼」や「敬意」や「配慮」や「洞察力」のような人間的資質は逆立ちしても「エビデンス・ベースド」に計量することができない。
それでも、組織が新人を採用する場合、TOEICの点数や資格や免許の多寡よりも、「
いっしょに働いて気分がいい人、まわりの人々をチアー・アップし、組織全体のパフォーマンスを高める人」かどうかを優先的に配慮する。当たり前のことである。』
という部分には大いに共感。
特に女性のパート社会なんてのは「仕事ができるかできないか」より大切なのは「人間関係」だったりするのです。
PTAでもパートでもよりよい人間関係を築けた集団が良いパフォーマンスを得ることができます。
村上龍も

の本の中で、企業の人事担当者がどういう基準で採用するかという問いについて「周りの人に愛されて育ったような人、案外そんな基準ですよ」みたいなことを言ってます。
どこかの大手外資系ホテルチェーンに採用された人が「英語もできない私をどうして採ってくれたのか」との質問に、採用担当者が「あなたが一番幸せそうにみえたからです」と言ったとか。
人生においては、一見役に立ちそうにない文学、哲学、宗教学、芸術というものに励まされることが多々あります。
「役に立ちそうもない」ことが案外大切だったりするんですよね。